共産党内部のテロル

スターリンはコミンテルンの中央機関を「整理」したのち、共産主義インターナショナルのそれぞれの支部に襲いかかったのです。最初はドイツ支部でした。ソビエト・ロシアにおけるドイツ人コミュニティはドイツ共産党(KPD)の活動家、亡命してきた反ファシスト、「社会主義建設」に参加するためワイマール共和国を離れた労働者が多数を占めていましたが、1933年以降に逮捕がはじまった時には、それらの長所も彼らの身分を守るもものとはならなかったのです。ソ連に亡命したドイツ人反ファシストの3分の2は弾圧の手に落ちたのでした。

共産主義活動家にかんしていえば、「カーデルリステン(幹部名簿)」という複数のリストので知られています。これらはドイツ共産党支部の指導者ヴィルヘルム・ピーク、ヴィルヘルム・フローリン、ヘルベルト・ヴェーナーの責任のもとで作成されましたが、彼らは処分をうけた共産主義者や弾圧の犠牲者を排除するために、このリストを利用したのでした。最初のリストは1936年9月3日付けであり、最後は1938年6月21日付けえした。50年代の終わりを持つもう一つの記録はSEDの統制委員会によって確定されたもので、1136名を数えたものでした。

逮捕は1937年に頂点を迎え、1941年まで続きました。半数の運命は不明ですが、拘禁中に死んだと推定されます。反し、確信を持って知りうるのは、82名が処刑され、197名が獄中や収容所で死んだこと、132名はナチに引き渡されたことです。別の150名は重い懲罰を受けながらも生延びることができ、刑が満期になった時にソ連を離れることができました。これら活動家の逮捕を正当化するために援用されたイデオロギー的理由の一つは、かれらがヒトラーを失敗させることに成功しなかったという点でした。まるで、ナチの権力獲得にかんしてモスクワに重大な責任がなかったかのようです。

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第一部 世界革命・内戦・テロル
第一章 行動に移ったコミンテルン
共産党内部のテロル

ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

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