粛正の最終目標

処刑されたコミンテルン要員の多くは「ピャトニツキー、クノーリンとクーン・ベラによって指導された反コミンテルン組織」に属する者と非難されました。また、単にトロツキストや反革命家とみなされた者もいたのです。

クーン・ベラはハンガリー・コミューンの元リーダーであり、1937年に、おそらくスターリンの指示を受けたであろうマヌイリスキーと対立し、非難されていました。マヌイリスキーはクーンがスターリンを批判しているとし、クーンはコミンテルンが有効でない現状の根本原因であると考えた、ソ連共産党の間違った代表制の責任者として、マヌイリスキーとモスクヴィーンを指名したのでした。出席者のうちクーンを弁護する者はおらず、会合の終わりにゲオルギ・ディミトロフは「クーン問題」が特別委員会で審査されるであろうとの決議案を採択させたのです。しかし、クーン・ベラは特別委員会のかわりに会場から出た直後逮捕されてしまいました。そして彼は日付不明の日にルビャンカ(モスクワの中心にある国家保安機関の建物)の地下室で処刑されたのでした。

パンテレーエフ氏によれば、これらの粛正の最終目標はスターリンの独裁へのいっさいの反対派を根絶することであり、過去において、反対派のシンパだった者や、以前トロツキーに近い活動家と関係を持ったの者は「弾圧」が好んで狙った目標でした。ハインツ・ノイマンによって指導されていたドイツ人活動家についても、民主集中派のグループの元活動家につても同様だったのです。当時、GUGB(国家保安総管理局)-NVDの秘密政治部局の第一部門の次長だったヤコブ・マツーソフの証言によると、国家機関において高い地位を占める指導者一人一人は、知らない間に自分に対して使用される書類を集めた文書の対象となっていたようです。同じようにコミンテルンの指導者たちも同じ疑惑のもとに置かれていたのでした。

コミンテルンの非ロシア人の高位責任者たちが積極的に弾圧に加わっていた点も挙げなければなりません。例えば,イタリア人パルミロ・トリアッチはコミンテルンの書記の一人であり、スターリンの死後、テロル的方法に反対した人間としてもてはやされました。しかし、国際赤色救護会の職員、ヘルマン・シューベルトを非難し、会合の席上、彼が弁解しようとするのを阻止したのです。シューベルトは直後に逮捕され、銃殺されました。また、ドイツ人共産党主義者のペーテルマン夫妻は、トリアッチから「ヒトラーの手先」と非難され、彼らは数週間後に逮捕されたのでした。さらにクーン・ベラをめぐる血みどろの争いの際にも出席しており、クーンを死に送る決議に署名したのです。さらにまた、1938年のポーランド共産党の粛正にも密接にかかわっていたのです。トリアッチはモスクワ裁判の第三回裁判の結果を承認し、次のように結びました。「戦争扇動者に死を、スパイに死を、ファシズムに死を!十月革命の成果の注意深い擁護者、世界革命の勝利の確実な保証人である、レーニンとスターリンの党万歳!フェリクス・ジェルジンスキーの業績をつぐ者、ニコライ・エジョフ万歳!」

参考文献:共産主義黒書 コミンテルン・アジア編
第一部 世界革命・内戦・テロル
第一章 行動に移ったコミンテルン
コミンテルンを襲った大テロル
粛正の最終目標

ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義により殺された人数は1億人に近い。民族・人種によるジェノサイドとイデオロギーによるジェノサイドがどこが違うのか?

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